Tyson – Happy Update

かならず最後に愛は勝つ・・・。

今回ばかりは、心底、それを信じます。

先週、NYの捨て犬ピットブルのタイソンが、NY州からバーモント州への長旅の末、ようやく見つかった里親さんの元に到着するなり暴れて銃殺されかかり、夜中になんとか救い出されて、リハビリ施設に送られることになったと、ここのブログに書きました。

タイソンについての前回のブログ記事:Tyson (9/17/2016) 

プロの訓練士からリハビリ訓練を受けるためには3500ドルという大きなお金がかかるため、寄付を募っていることも告げ、資金集めのリンクを紹介しました。

あのブログ記事をポストして一夜明けた朝のこと—。

なんと、見も知らぬ一頭の捨て犬のために、地球の裏側から、たくさんの厚意のお金が届いていたというのです。

私のブログ記事を読んでくださり日本から優しさをシェアしてくれた方々が、幾人もいたのです。

レスキュー担当者のひとたちは、私がタイソンのことを日本語SNSで紹介したことを告げるまで、なぜ遠い日本から寄付が届いているのかまったく見当がつかず、「こ、これは、もしや、スパムか何かでは!」と疑っていた、というのです(笑)。

その時にフェースブックで受け取ったメッセージを、スクリーンショットで切り取ってきました。

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ミーシャさん:「おーまいごっど!朝になったら沢山の寄付金が日本から届いていて、何がどうなって日本から支援が届いたのか、わたしたち、不思議に思っていたのよ。なんて優しい方々でしょう、ジーンとします。こんなにタイソンのことを愛してくれてありがとう❤❤❤」

ダナさん:「ステキ!ありがとう!」

メリッサさん:「ナイス!」

わたし:「そうだったのね、私もうれしいです、私のフォロワーさんたちの多くはワンコ好き、みんなタイソンに幸せになってもらいたいと願っているのよ。」

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マリルナさん:「ミーシャとタイソンを助けてくれてありがとう、私からもお礼を言わせてください。タイソンを運んでくれた上に、ブログ記事も書いてくれたのね。日本から寄付が集まりだしたのを見て、これはスパムに違いないと夜通し思っていたの。あなたのお友達からこんなに多くのサポートをもらえて感激しています。どれほど私たちが感謝しているか、みなさんに知ってもらいたい❤」

わたし:「お役に立ててうれしい。タイソンは良い子でしたから、あの子が新しい飼い主に噛みつこうとしたと聞いて信じられなかったし、すごく悲しかった。でもタイソンにはきっと愛してくれるご家族が見つかるはず。これからもサポートしますから、なにかできることがあればいつでも言ってね。」

そして、その後もアメリカ国内で集まる支援金に加え、日本からも寄付が届き続け、タイソン緊急支援基金は本日、目標額だった3600ドルをみごとに達成し、1週間で正式にクローズされました。

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目標3600ドルに対し、3810ドルが集まった。

 

集まった資金は早速、バージニア州にある犬のリハビリ施設に送金され、これでタイソンは正式にトレーニングを受けられることになりました。

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送金時につけられたメッセージ:「タイソンをそちらのリハビリプログラムに迎え入れてくださりありがとうございます!タイソンは必ずや訓練をやりとげますよ!」

日本のみんなの優しさに感激したレスキュー関係者から、タイソン基金のアップデート欄に、

WE LOVE YOU JAPAN!! WOW!!

Your friends in NEW YORK love you all!!

という特別メッセージがついてました。

わたしからも、みなさんに、心の底から、お礼を申し上げたいです。

寄付をしてくださった方、ツイートをRTして拡散してくださった方、FBでシェアしてくださったかた、みなさん、タイソンのために、本当に本当にありがとうございました。

あの嵐のような夜のあと、タイソンは落ち着いていて、毎日ハッピーにしており、何の問題もその後報告されていません。

あの悪夢の大騒ぎは、いったい、なんだったのか・・・。

タイソンはまた命拾いをしましたよ。強運な子。

評判の高い訓練センターで、プロの訓練士から教えを受け、捨て犬だったタイソンは誰にも引けをとらない立派なワンコとなって、次こそは、きっと素敵なご家族に迎え入れてもらえる。そう確信しています。

今日のタイソンの写真です。Thank you all for helping me! 

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最後にもういちど。

ありがとう、チーム・ジャパン!

 

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Slow Roasted Tomatoes

庭のトマトがいよいよ最終段階です。

まだ緑のままのがあるけれど、9月に入ったら気温が目立って下がったので、おそらく赤くならないまま終えるでしょう。最後の赤いトマトを保存します。

前回はトマトを水煮にして保存した過程を紹介しましたが、今回はオーブンでゆっくり焼いてローストしました。作り方は・・・

  1. ソース用のプラムトマトを半分にして、種を取る。
  2. パーチメントペーパーを敷いた天板に並べる。
  3. 塩・砂糖・オリーブ油を適量かける。
  4. 予め350℉(180℃)に温めたオーブンで、水分が抜けてクシャッとなるまで3時間ぐらい焼く。

オーブンに突っ込んで3時間後。できました。

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ひとつ、つまんで食べてみた。トマトの味がぎゅうっと詰まって、甘くて、キャンディみたい。

水煮もいいけれど、こちらは手間がかからず、ずっと楽。そのまま食べても、サラダに入れても、ソースにしてもいいですね。

これをジップロックに入れてオリーブ油を足して冷凍すれば、かなりの期間保存が効きます。

今回は、このレシピ↓↓を参考にしました。

Slow-Roasted Summer Tomatoes (finecooking.com から)

わたしは砂糖・塩・オリーブオイルだけでやってみたけど、ハーブのタイムをかけたり、ガーリックと一緒にローストするレシピです。次回はガーリックも一緒にローストしてみようっと。

Tyson

9月12日の月曜日、マサチューセッツに住む友人のメリッサから、メッセージが入った。

木曜日にニューヨーク州Bedfordからバーモント州まで、犬を一頭運ばなければならないが、ルートの一部を私に運転してくれないか、という。

メリッサは捨て犬のレスキューに熱心な友人で、わたしが時間をみつけてはレスキューされた犬を方々に運んでいることを知っている。わたしがこれまで運転して運んだ犬の数は数えきれない。中には遠く南部や中西部で保護されて東海岸まで運ばれてくる犬を乗せることもあるし、ニューヨーク近辺で捕獲され殺処分を免れた野良犬を里親候補のところまで運ぶこともある。

メリッサが木曜日に運んで欲しいと言ってきた犬は、タイソン(Tyson)という名前の若いオスのピットブルだった。

捨てられた背景を調べてみると、タイソンはブロンクスに住む小さな子供のいる家庭の飼い犬だったが、その飼い主が家を追い出されたために世話をし続けることができないと言う理由で、今年の5月に飼い主みずから収容所に連れてきた犬だった。家賃が払えず追い出されたのかもしれないし、家族が犯罪で捕まったのかもしれない。詳しくはわからない。

 

タイソンが飼われていたのは、サウスブロンクスの中でも治安がよいとは言えないエリアだった。そういう地域では、違法闘犬ギャンブルの摘発も頻繁にあり、闘犬用としてピットブルを裏庭で繁殖したりしている者もいて、ニューヨークの動物収容所にやってくる犬の多くがゲットー出身のピットブルだ。ピットには犯罪や暴力と繋がる暗いイメージがまとわりついているせいもあって、ピットが里親候補を見つけるのは簡単ではない。イメージが悪いうえに捨てられたり行き場を失う数も多いから、NYの動物収容所は常時ピットで溢れていて、殺処分される数もピットはダントツで多い。

タイソンの場合もやはり里親がすぐには見つからず、数週間後、NYシティの動物収容所が公表する殺処分リストに名前が載った。そのリストに名前が載ると、24時間のうちに殺処分されるのだ。

ニューヨークシティでは、健康な若い犬でも、そうして、毎日のように殺されている。

タイソンは殺処分のため収容所の檻から出されていた最中に、あるレスキュー団体が引き取ると名乗り出て、危機一髪で救済された犬だった。

しかしその後、一時預かり(フォスター)でも引き取り手が現れず、タイソンはNY郊外の犬舎に入れられ、時間を過ごしていた。

そんなある日、タイソンにも幸運の女神が微笑み、引き取り手が現れた。バーモント州に住む夫婦が里親になると名乗り出たのだという。そのカップルにタイソンを届けるため、3人のボランティア・ドライバーが半日かけてニューヨーク州からバーモント州までタイソンを運ぶことになった。わたしはその3人のドライバーの一人になった。

タイソンが預けられていた犬舎に引き取りに行くと、そこにはタイソンのように、レスキューされ命拾いをしたものの引き取り手が現れない犬がほかにも大勢いて、ほとんどがピットだった。散歩に出してもらえてもごく短時間、それ以外のときはこちらの耳がおかしくなりそうなぐらいやかましい大勢の犬の吠え声に囲まれて狭い檻の中で過ごす。たとえ犬といえども、こんな環境でこころ休まるはずがないと思った。

犬舎の奥からハンドラーに連れられて出てきたタイソンは、数か月の犬舎生活に明らかに疲れた様子で、車のドアを開けると、喜び勇んで自分から私の車に飛び乗った。早くここを出よう、といいたげに。

タイソンは美しい犬だった。若いだけあり身体が締まって、顔つきも精悍で、薄茶のブリンドルの毛皮をまとい、申し分ない容姿。

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持参したマフィンを分けてあげると、喜んで食べた。よほど疲れていたのか、久しぶりに静かで快適な場所にホッとしたのか、タイソンは道中ずっと大人しく、こんこんと眠り続けた。犬舎から2時間近くかけてコネチカット州のHartfordに到着し、次のドライバーにタイソンを渡したときも、自分から大人しく降りて、次の車に自分から入り、何の問題もなかった。別れ際にマフィンの残りをあげて、「よかったね、こんどこそ幸せになるんだよ・・・」と言いながら頭と頬を撫でてあげると、じっとこちらを見て、わたしの手に耳を擦りつけてきた。

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最後にこんな静かな場所で寝たのはいつなのか・・・こんこんと眠るタイソン

ハートフォードからの帰り道はちょうどラッシュアワーにぶつかり、渋滞する自動車道の上から、全米保険業界のメッカとして知られるハートフォードの高層オフィスビル群を眺めながらタイソンを無事届けたことに安堵して、ふたたび2時間以上かけて自宅に戻った。

自宅でのんびりしていたのも束の間、深夜メリッサたちからふたたびメッセージが届いた。

新しい飼い主の家で、タイソンがいうことをきかず、唸り声をあげて暴れ、里親はすっかり怖がってしまい、こんな犬は飼えない、すぐにでも引き取れと言われたというのだ。里親は完全にパニックを起こしていて、今夜中に引き取らないなら、こんな危ない犬は射殺するとまで言い放ったという。

数時間前、わたしの手に優しく耳を擦りつけてきた、あのタイソンが・・・信じられない気持ちだった。何ヶ月も預けられていたあの犬舎にタイソンをまた押し込めるのは、かわいそうすぎる。あのやかましい犬舎を出たあと、静かな車内で安心して眠り続けたタイソンの姿を思い出し、殺処分を逃れたのにこんどは新しい飼い主が射殺すると喚いていると聞き、可哀想で涙が出た。

とりあえず、パニックして騒いでいる里親のもとからタイソンを別の場所に移動させなければならない。すでに夜11時を回っていたが、現地のボランティアの協力を得て、犬の訓練士にも来てもらい、興奮しているタイソンを引き出すのに成功した。

飼い主の家に着いたのち、タイソンと飼い主の間に、いったいなにが起こったのだろう・・・。何がトリガーになってタイソンを興奮させたのか・・・。

そして、今日—。

タイソンは一時預かりを申し出てくれた現地のボランティアの家にいる。大人しく、何の問題もみせず、落ち着いているという。

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バーモント州のボランティア宅で落ち着いている今朝のタイソン

わたしは、タイソンをNY郊外のあの犬舎に戻すのは気が引ける、もし何かタイソンに問題があるのなら、あそこの環境はタイソンのコンディションを悪化させるだけだと感じるから、どこかもっと違う落ち着いた場所で訓練を受けさせてあげてほしいと、レスキュー団体のひとにお願いした。

団体のひとたちも同じ考えだったらしく、バージニア州にある犬のリハビリ施設にタイソンを送り、そこで人間に対して唸り声を挙げたりするビヘイビアを矯正する訓練を受けさせようということになりました。その費用に3500ドルかかります。

タイソンのために募金ページが立ち上がり、現時点で1000ドル近くが寄付で集まっています。

ここ↓↓がそのページです。たとえ1ドルの寄付でも助けになります。こういう犬がいるんだよ、ということを広めてくれるだけでも、うれしいです。

Tyson’s Emergency Funding for Rehab & Training

こころを許したひとたちに甘えるタイソンは、どこにでもいるやさしい犬の顔をしています。

タイソンはかつて、4歳の子供がいる家庭の「ペット」でした。人間の勝手で捨てられ、悪環境に何ヶ月も置かれ、犬といえどもこころが折れて、混乱しているのでしょう。

自分がこの子を運んだのも、何かの縁—。

相性のいい、やさしいご家族に巡り合えるよう、タイソンを応援したいです。



(タイソンのその後のアップデートはこちらの記事↓↓をごらんください。)

Tyson – Happy Update (2016.09.24)

2006.09.10 – Ground Zero

10年前の2006年9月10日—。私はワールドトレードセンター跡地の前にいた。テロ事件から5年の節目に当たる年で、ニューヨークでは大きなメモリアル式典が営まれることになっており、前日から多くのひとが集まっていた。アメリカはテロへの報復戦争にすでに突入していた。ニューヨークはテロとタワー崩壊のショックから完全に醒めてはいなかったが、この戦争でアメリカは間違った方向に進んでいると感じる人々も増えていた。アメリカは揺れていた。あの日、現場で写した写真を22枚、当時はmixiに掲載しました。2006年9月10日付けでmixiに載せたエントリーをそのまま、以下に再掲します。写真のキャプションも10年前のままです。



 

<2006年9月10日付け日記 from ミクシィ>

今日は、ダウンタウンまで出かける用事があったので、ついでに、ワールド・トレード・センター跡地にも足を伸ばしました。

今、こちらNYは、10日、夜の8時。

明日11日は、WTC崩壊からちょうど5周年にあたります。

メモリアル前日の今日も、沢山のひとが跡地を訪れていました。

ビジターに混じって、たくさんのプロテスターの姿も。

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かつて、ここにタワーが立っていました。

 

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タワーの基礎部分。一部はまだ崩壊したときのまま。

 

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同じく、タワーの基礎部分。明日11日の追悼式会場。

 

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今日は10日ですが、たくさんの人が訪れていた。

 

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WTC真向いにある消防署。星条旗は5年前のもの。ここ所属の消防士も何人も死んだ。

 

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ここで亡くなった警察官を悼み、誰かが小さな旗を残した。

 

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明日の5周年メモリアルを前に。

 

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現場を隔てるフェンスに誰かが花を挿した。

 

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隙間なく寄せ書きが書き込まれた看板。現場のすぐ横。

 

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通り向かいのビル。当時のままの壁を残してある。隣はトリビュート・センター。

 

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沢山のビジターの他、沢山のプロテスターの姿も。星条旗を被せた棺桶の前で南無阿弥陀仏を唱える僧侶。

 

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「ブッシュ一味は戦犯だ!」と書かれたプロテスターの傘。
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「兵士を今すぐ米国に戻せ」と書かれた風船。

 

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「911はブッシュによる計画だ」と書かれた幕の前で演説するプロテスターたち。

 

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星条旗に身を包み、プロテスターたちを批判する保守寄りのおじさん。

 

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たくさんのブッシュ批判。「911はブッシュがやった」

 

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「ブッシュの頭は蝶型ナット(*注)」というサインを出してる脱力系プロテスター。(注:Wing Nutとは「極端な考えで頭がイカレた右翼野郎」という意味です。)

 

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「戦争は答えにはならない」ー反戦グループ『戦争に反対する祖母の会』のメンバー。

 

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ブロードウェイから望むWTC跡地。かつて、この真正面に2本のタワーが見えた。

 

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WTCの真ん前の小さな公園。オフィスが近かったので、よくここでお昼を食べた。

 

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ウォール・ストリート。久しぶりにNY証券取引所を見る。銅像はジョージ・ワシントン。

 

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WTC横の教会。中にブッシュ大統領が訪れていた。教会の周囲はシークレットサービスだらけ。

2016.09.11 – Fifteen Years

今日、2016年9月11日は、ワールドトレードセンターのテロ発生から15周年。

あれから15年も経ったのか・・・。

この日が来ると、何年経っても、昨日のことのように思い出される。

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日本から遊びに来ていた母を連れて、ワールドトレードセンターへ。かつてツインタワーが立っていた場所は、現在は水が流れ込むメモリアルとなっている。そこに残された”足跡”のように見えるので、「Footprints」と呼ばれます。(2016年8月9日撮影)

 

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崩壊から11日後の現場の上空写真。がれきの山からは煙と焦げるにおいがしばらく立ち上っていた。394886 21: An Aerial View Shows Ground Zero Of The World Trade Center Disaster Area September 22, 2001 In New York City Following The Suicide Terrorist Attacks On The Twin Towers. (Photo By Getty Images)

 

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がれきが除去され、跡地の整地も進み、現在のFootprintsが形を整えつつある頃の上空写真。上の写真でわたしの母が流れ込む水を見つめて立っている場所です。(写真はtrover.com のここから)

 

10年前、5周年目を迎えたときに、ミクシィに日記をポストしています。

ミクシィから、当時掲載した写真も併せこのブログサイトに転載しようと思っています。

 

Housing Affordability

住宅を購入すべきか、賃貸すべきか—。

Zillow.com に興味深いチャートが紹介されていた。

 

元記事はこちら。

Q2 2016 Housing Affordability: Home Buyers Continue to Enjoy the Advantages of Very Low Interest Rates (Zillow, September 2, 2016)

  • 全米の平均的所得のバイヤーが平均的住宅価格を買う場合(それぞれミディアン値)を想定し、1985年から2000年の平均値と、2016年第2四半期を比較した場合、所得に占めるモーゲージ負担は、かつて21%だったが、直近では14%に落ちている。低利率が貢献。
  • 一方、賃貸のほうは、同様に平均的所得の賃貸者が平均的なアパートを借りる場合、所得に占める賃料は30%に相当し、バブル前の26%を上回っている。
  • 住宅価格も賃料もともに上昇したが、低金利が功を奏し、購入のほうが賃貸とくらべ、より容易な状態になっている。
  • ただし、所得や価格の地域差も大きく、分析対象となった全米35都市圏の中では、サンノゼ、LA、サンフランシスコ、マイアミ、ポートランドの各市で、モーゲージ負担が従来に比べ重くなっている。
  • 一方、サクラメントとピッツバーグのふたつの都市圏では、過去水準と比較して賃貸しやすくなっている。

じっさい、米国の住宅市場は、新築物件のサプライが絞り込まれた結果、需給がゆるまず、一部ではタイトな状態になっており、価格は底堅く推移している。もし、上記の効果で購入物件への需要が高まれば、新築物件の供給ペースが軌道に乗るまでは、プライスを下支えすると考えられそうだ。

わたしが住んでいるNYのウェストチェスター郡北部界隈は、マンハッタンまで電車乗り換えなしだが片道一時間はかかり、NYシティへの通勤圏としては少々遠いこともあって、価格的にはこの数年フラットで特に上がりも下がりもしていないように個人的には感じる。

しかし、NY郊外の物件でも、一部では需要の高まりを反映し、複数のビッドが入り、元々のプライスよりも高い水準で売却されることがままあると、NYタイムズが伝えている。

Bidding Wars in the Suburbs (NY Times,  June 17, 2016)

 

Canning Tomatoes (2)

春からずっと手入れをしてきた裏庭の畑のトマトが熟しました。赤くなっているトマトを沢山とってきた。

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9月に入ると気温が下がり、トマトの季節はそろそろ終わりなので、これらを水煮にして保存してみようと思います。ジャムやピクルスを作ったことはあるけれど、トマトの水煮に挑戦するのは初めてです!

英語で瓶詰にして保存することを、「Canning」と言います。

Canningに必要なものをまず準備します。

ガラス製のジャー、蓋、蓋を絞めるためのリング。瓶が完全に熱湯に水没するぐらい深い大鍋。

ジャーは熱湯を使ってよく洗います。

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蓋の部分は、煮沸殺菌します。

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熱湯をわかし、トマトに浅く切り込みを入れ、熱湯に30秒程度くぐらせ、すぐに冷水に漬けて「湯むき」します。

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冷水に漬けると、切り込みを入れたところから、トマトの薄皮が剥がれてきて、つるりと簡単に皮をむくことができました。

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皮を剥いたら適当な大きさに切り、ガラス瓶にぎっしり詰めます。瓶の中の酸性度を高めるために、レモン汁を小さじ一杯ほど加えました。塩も小さじ一杯ほど入れました。

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瓶のふちから5㎜ぐらいの高さまでお湯を足し、瓶の周りをキレイにふき取り、それから蓋をしっかりと絞め、沸騰前にお湯に鎮めます。(いきなり熱湯に入れてガラスが割れないようにです。)蓋をして、お湯が沸点に到達してから、45分間、煮ます。

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45分後、瓶を熱湯から取り出し、自然に冷まします。冷めてから蓋の真ん中を押してみて、パコパコしなければ、Canning成功です!

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蓋を開けるまで、常温で、かなりの日数、保存することができます。

来週あたり、パスタソースでも作ってみようかな。

しかし、作る前は、ずいぶんたくさんあると思ったトマトも、こうして瓶詰にすると、わずか6瓶しか作れないと知りびっくり。全工程に3時間以上かかったので、ひと瓶あたり30分かかった勘定になりますね。すごい手間です。トマトの水煮なら、大きな缶詰がスーパーの安売りでひとつ1ドル以下になることもあるんですけどね・・・(笑)

 

こうして自分で育てたトマトを使って水煮の瓶詰を作ってみると、これひとつに、どれだけ手間がかかるかということがよくわかりました。食べ物は粗末にできないわぁ・・・

この作り方は、前回記事で紹介したビデオを参考にしました。

Elephant Hotel (2)

19世紀初頭に、アメリカに来た象としては2頭目にあたるOld Betを引き連れて、ベイリーさんが始めたサーカスの原型。

1800年代前半のうちにソーマーズには他にいくつもサーカス団が登場し、中には初めてライオンを連れたサーカス団も生まれ、動物を休ませるためのサーカステントも作られた。当時の地元のひとびとは多くが農夫や牛飼いだったが、サーカスの人気が高まるにつれサーカス団に雇われて、動物たちとともに東海岸の各地を周るようになった。

当時のソーマーズは「サーカスのメッカ」として大繁盛していたのだ。

ソーマーズ市民たちは、エレファント・ホテルに紡がれた町の歴史を大切にし、その歴史を誇りにすら感じていた。

そんなソーマーズに、1960年代のある日、ひとつのニュースが舞い込み、小さな田舎町は大騒ぎになる。

1966年1月2日、アメリカの郵便公社 United States Postal Service (USPS)が、サーカスの記念切手を作ることになり、ウィスコンシン州のデラバン(Delavan)という町で発売初日を祝う、という発表をしたのだ。

デラバンには大小20を超えるサーカス団が集まり、中西部のひとたちに冬場の楽しみを提供する人気スポットとして知られていた。しかし、デラバンに最初のサーカス団が登場するはるか前から、ソーマーズではベイリーさんのサーカス団が成功を納めていたのだ。

ソーマーズ市民で町の歴史家だったオット―・コーゲルさんは、自分が育ったソーマーズのアイデンティティにもなっている「サーカス発祥の町」という歴史的事実が、アメリカ政府に無視されることは許せないと感じ、USPSに正式に抗議を申し入れた。

これを受けて、デラバンとソーマーズは、「自分たちこそがアメリカン・サーカスの町だ!」と互いに譲らず、何ヶ月も論争が続き、ついには米国下院議会に持ち込まれるまで議論は白熱した。結局、郵便公社の長官により、「アメリカン・サーカス記念切手」の発売初日をソーマーズで飾りたいという町の悲願は却下されたが、その記念切手のデザインの「お目見えの日」を、発売日より一か月早くソーマーズで祝ってもよい、ということになった。

いよいよ、その「お目見えの日」がやってきて、ソーマーズでは、当時の町の人口の半分にあたる3000人がお目見え式典に詰めかけ、式典に続くパレードでは1200人ものひとたちがストリートを練り歩き、町中大パーティーで祝ったそうである。

これが、その、1966年に発売された「アメリカン・サーカス記念切手」だ。

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現在では、この切手はさほど希少性がないのか、スタンプコレクターの間で高価に取引されているわけではない。

でも、この騒ぎを通じて、ソーマーズは「アメリカン・サーカス発祥の町」というステータスをアメリカ政府に認めさせた。

1966年のアメリカで、ウェストチェスター郡北部のちいさな田舎町の名前が全米に知れ渡ることになった。当時のソーマーズの人々は、切手の価格の「5セント」とは比較にならない、おおきなおおきなプライドを取り戻したにちがいない。

我が家の近くの、なんてことない小さな町に、こんなステキなエピソードが隠れていたことに驚いた。

Elephant Hotel

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NY州ウェストチェスター郡の北部、ニューヨークシティから車で1時間半ほど北上したあたりに、Somers と呼ばれるちいさな町がある。

アメリカ北東部の都市近郊では典型的な一軒家ばかりの住宅地が広がり、これといって特徴のないミドルクラスの町のように見えるが、そこに一風変わった古い建物がある。

建物には大きく

『Elephant Hotel』

と書かれている。東西南北に延びる自動車道がいくつも交差しガソリンスタンドなどが並ぶその場所にはそぐわない古く重厚な建築物で、建物の前庭には支柱に乗せられたエレファント像が高々と掲げられている。

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わたしの自宅からソーマーズはそんなに離れておらず、たまにこの建物の前を車で通るが、そのたびに、この建物はいったいなんだろう・・・聞いたことないけど、ここホテルなの?・・・象と何の関係があるのだろう?・・・と不思議に思っていた。

そこである日、興味が湧いて調べてみた。

すると、このエレファント・ホテルはかつては確かにホテルとして親しまれていたが、現在はソーマーズ市の市役所として使われているとのこと。

そして、その名前の由来を知って驚いた。

このエレファント・ホテルは、Hachaliah Baileyというひとが1825年に建てたという。ベイリーさんはもともとソーマーズで農場を営む農夫で、1800年代初頭に一頭のアジア象を手に入れた。Old Betと名付けられたその巨象を、はじめは農場の労働力として使おうと思って購入したらしいベイリーさんだったが、当時は本物の象を見たことのないひとばかりで、珍しがって見物人がおしかけ、Old Betの人気に気を良くしたベイリーさんは他にも珍しい動物を次々と手に入れ、見世物として動物たちを引き連れ、米東海岸のあちこちを回り、興行師として大成し富を築いた。

この「象をひき連れてあちこち回る見世物興行一座」こそが、合衆国のサーカスの始まりと言われており、ベイリーさんの一座は Barnum and Bailey Circus と言う名のサーカス団として現在でも人気を博し、その名は全米に知れ渡っている。

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1917年当時のポスター

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ベイリーさんは、自分が大成功したのは象のOld Betのおかげだとして、1825年にフェデラル様式の立派なレンガ造りの建築物を建て、感謝の念を表して建物の前に象の置物を飾り、Old Betを称えて「エレファント・ホテル」と名付けたというのだ。

つまり、ふだん「これといって特徴のないスリーピーなちいさな町」と思って通過していたソーマーズ市は、なんと、アメリカン・サーカスの発祥地だったのだ!!

2016-08-16 10.17.49.jpgこのエレファント・ホテルには当時サーカス関係者が集まったり、ニューヨークシティに馬車で向かう旅人が途中で休む宿泊施設としても利用され、1927年にソーマーズ市がベイリー・ファミリーからこの建物を買い上げるまで、憩いの場としてにぎわったそうだ。この建物、現在は市役所として使われているが、館内には、サーカス発祥の資料館もあり、ベイリーさんが象と一緒に始めたアメリカン・サーカスの歴史を知ることもできる。この建物の歴史的意義を認められ、エレファント・ホテルは2005年に「全米歴史的建造物」のひとつにも指定された。

(資料館は週にいちど無料公開されますが、ソーマーズ市の歴史好き市民が作るSomers Historical Societyに連絡を取ると、よろこんで特別にガイドしてくれるそうです。)

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(続く)