2006.09.10 – Ground Zero

10年前の2006年9月10日—。私はワールドトレードセンター跡地の前にいた。テロ事件から5年の節目に当たる年で、ニューヨークでは大きなメモリアル式典が営まれることになっており、前日から多くのひとが集まっていた。アメリカはテロへの報復戦争にすでに突入していた。ニューヨークはテロとタワー崩壊のショックから完全に醒めてはいなかったが、この戦争でアメリカは間違った方向に進んでいると感じる人々も増えていた。アメリカは揺れていた。あの日、現場で写した写真を22枚、当時はmixiに掲載しました。2006年9月10日付けでmixiに載せたエントリーをそのまま、以下に再掲します。写真のキャプションも10年前のままです。



 

<2006年9月10日付け日記 from ミクシィ>

今日は、ダウンタウンまで出かける用事があったので、ついでに、ワールド・トレード・センター跡地にも足を伸ばしました。

今、こちらNYは、10日、夜の8時。

明日11日は、WTC崩壊からちょうど5周年にあたります。

メモリアル前日の今日も、沢山のひとが跡地を訪れていました。

ビジターに混じって、たくさんのプロテスターの姿も。

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かつて、ここにタワーが立っていました。

 

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タワーの基礎部分。一部はまだ崩壊したときのまま。

 

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同じく、タワーの基礎部分。明日11日の追悼式会場。

 

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今日は10日ですが、たくさんの人が訪れていた。

 

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WTC真向いにある消防署。星条旗は5年前のもの。ここ所属の消防士も何人も死んだ。

 

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ここで亡くなった警察官を悼み、誰かが小さな旗を残した。

 

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明日の5周年メモリアルを前に。

 

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現場を隔てるフェンスに誰かが花を挿した。

 

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隙間なく寄せ書きが書き込まれた看板。現場のすぐ横。

 

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通り向かいのビル。当時のままの壁を残してある。隣はトリビュート・センター。

 

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沢山のビジターの他、沢山のプロテスターの姿も。星条旗を被せた棺桶の前で南無阿弥陀仏を唱える僧侶。

 

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「ブッシュ一味は戦犯だ!」と書かれたプロテスターの傘。
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「兵士を今すぐ米国に戻せ」と書かれた風船。

 

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「911はブッシュによる計画だ」と書かれた幕の前で演説するプロテスターたち。

 

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星条旗に身を包み、プロテスターたちを批判する保守寄りのおじさん。

 

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たくさんのブッシュ批判。「911はブッシュがやった」

 

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「ブッシュの頭は蝶型ナット(*注)」というサインを出してる脱力系プロテスター。(注:Wing Nutとは「極端な考えで頭がイカレた右翼野郎」という意味です。)

 

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「戦争は答えにはならない」ー反戦グループ『戦争に反対する祖母の会』のメンバー。

 

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ブロードウェイから望むWTC跡地。かつて、この真正面に2本のタワーが見えた。

 

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WTCの真ん前の小さな公園。オフィスが近かったので、よくここでお昼を食べた。

 

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ウォール・ストリート。久しぶりにNY証券取引所を見る。銅像はジョージ・ワシントン。

 

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WTC横の教会。中にブッシュ大統領が訪れていた。教会の周囲はシークレットサービスだらけ。

Elephant Hotel (2)

19世紀初頭に、アメリカに来た象としては2頭目にあたるOld Betを引き連れて、ベイリーさんが始めたサーカスの原型。

1800年代前半のうちにソーマーズには他にいくつもサーカス団が登場し、中には初めてライオンを連れたサーカス団も生まれ、動物を休ませるためのサーカステントも作られた。当時の地元のひとびとは多くが農夫や牛飼いだったが、サーカスの人気が高まるにつれサーカス団に雇われて、動物たちとともに東海岸の各地を周るようになった。

当時のソーマーズは「サーカスのメッカ」として大繁盛していたのだ。

ソーマーズ市民たちは、エレファント・ホテルに紡がれた町の歴史を大切にし、その歴史を誇りにすら感じていた。

そんなソーマーズに、1960年代のある日、ひとつのニュースが舞い込み、小さな田舎町は大騒ぎになる。

1966年1月2日、アメリカの郵便公社 United States Postal Service (USPS)が、サーカスの記念切手を作ることになり、ウィスコンシン州のデラバン(Delavan)という町で発売初日を祝う、という発表をしたのだ。

デラバンには大小20を超えるサーカス団が集まり、中西部のひとたちに冬場の楽しみを提供する人気スポットとして知られていた。しかし、デラバンに最初のサーカス団が登場するはるか前から、ソーマーズではベイリーさんのサーカス団が成功を納めていたのだ。

ソーマーズ市民で町の歴史家だったオット―・コーゲルさんは、自分が育ったソーマーズのアイデンティティにもなっている「サーカス発祥の町」という歴史的事実が、アメリカ政府に無視されることは許せないと感じ、USPSに正式に抗議を申し入れた。

これを受けて、デラバンとソーマーズは、「自分たちこそがアメリカン・サーカスの町だ!」と互いに譲らず、何ヶ月も論争が続き、ついには米国下院議会に持ち込まれるまで議論は白熱した。結局、郵便公社の長官により、「アメリカン・サーカス記念切手」の発売初日をソーマーズで飾りたいという町の悲願は却下されたが、その記念切手のデザインの「お目見えの日」を、発売日より一か月早くソーマーズで祝ってもよい、ということになった。

いよいよ、その「お目見えの日」がやってきて、ソーマーズでは、当時の町の人口の半分にあたる3000人がお目見え式典に詰めかけ、式典に続くパレードでは1200人ものひとたちがストリートを練り歩き、町中大パーティーで祝ったそうである。

これが、その、1966年に発売された「アメリカン・サーカス記念切手」だ。

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現在では、この切手はさほど希少性がないのか、スタンプコレクターの間で高価に取引されているわけではない。

でも、この騒ぎを通じて、ソーマーズは「アメリカン・サーカス発祥の町」というステータスをアメリカ政府に認めさせた。

1966年のアメリカで、ウェストチェスター郡北部のちいさな田舎町の名前が全米に知れ渡ることになった。当時のソーマーズの人々は、切手の価格の「5セント」とは比較にならない、おおきなおおきなプライドを取り戻したにちがいない。

我が家の近くの、なんてことない小さな町に、こんなステキなエピソードが隠れていたことに驚いた。

Elephant Hotel

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NY州ウェストチェスター郡の北部、ニューヨークシティから車で1時間半ほど北上したあたりに、Somers と呼ばれるちいさな町がある。

アメリカ北東部の都市近郊では典型的な一軒家ばかりの住宅地が広がり、これといって特徴のないミドルクラスの町のように見えるが、そこに一風変わった古い建物がある。

建物には大きく

『Elephant Hotel』

と書かれている。東西南北に延びる自動車道がいくつも交差しガソリンスタンドなどが並ぶその場所にはそぐわない古く重厚な建築物で、建物の前庭には支柱に乗せられたエレファント像が高々と掲げられている。

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わたしの自宅からソーマーズはそんなに離れておらず、たまにこの建物の前を車で通るが、そのたびに、この建物はいったいなんだろう・・・聞いたことないけど、ここホテルなの?・・・象と何の関係があるのだろう?・・・と不思議に思っていた。

そこである日、興味が湧いて調べてみた。

すると、このエレファント・ホテルはかつては確かにホテルとして親しまれていたが、現在はソーマーズ市の市役所として使われているとのこと。

そして、その名前の由来を知って驚いた。

このエレファント・ホテルは、Hachaliah Baileyというひとが1825年に建てたという。ベイリーさんはもともとソーマーズで農場を営む農夫で、1800年代初頭に一頭のアジア象を手に入れた。Old Betと名付けられたその巨象を、はじめは農場の労働力として使おうと思って購入したらしいベイリーさんだったが、当時は本物の象を見たことのないひとばかりで、珍しがって見物人がおしかけ、Old Betの人気に気を良くしたベイリーさんは他にも珍しい動物を次々と手に入れ、見世物として動物たちを引き連れ、米東海岸のあちこちを回り、興行師として大成し富を築いた。

この「象をひき連れてあちこち回る見世物興行一座」こそが、合衆国のサーカスの始まりと言われており、ベイリーさんの一座は Barnum and Bailey Circus と言う名のサーカス団として現在でも人気を博し、その名は全米に知れ渡っている。

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1917年当時のポスター

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ベイリーさんは、自分が大成功したのは象のOld Betのおかげだとして、1825年にフェデラル様式の立派なレンガ造りの建築物を建て、感謝の念を表して建物の前に象の置物を飾り、Old Betを称えて「エレファント・ホテル」と名付けたというのだ。

つまり、ふだん「これといって特徴のないスリーピーなちいさな町」と思って通過していたソーマーズ市は、なんと、アメリカン・サーカスの発祥地だったのだ!!

2016-08-16 10.17.49.jpgこのエレファント・ホテルには当時サーカス関係者が集まったり、ニューヨークシティに馬車で向かう旅人が途中で休む宿泊施設としても利用され、1927年にソーマーズ市がベイリー・ファミリーからこの建物を買い上げるまで、憩いの場としてにぎわったそうだ。この建物、現在は市役所として使われているが、館内には、サーカス発祥の資料館もあり、ベイリーさんが象と一緒に始めたアメリカン・サーカスの歴史を知ることもできる。この建物の歴史的意義を認められ、エレファント・ホテルは2005年に「全米歴史的建造物」のひとつにも指定された。

(資料館は週にいちど無料公開されますが、ソーマーズ市の歴史好き市民が作るSomers Historical Societyに連絡を取ると、よろこんで特別にガイドしてくれるそうです。)

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(続く)